こんにちは。はーねうすです。
今回は、「マーラー 交響曲『大地の歌』」を紹介します。
全楽章が声楽が主体となりますので、純粋に「交響曲」という位置づけをするかは、意見が分かれるところです。
このアルバムもライブ録音ですね。
指揮は、ガリー・ベルティーニ氏です。
「大地の歌」ですね。タイトルは聞いたことがあります。
日本では某CMで使われていたしな。因みに原題はドイツ語で「Das Lied von der Erde」だな。
目次
【着想】声楽と管弦楽の融合。
「マーラー 交響曲『大地の歌』」のコンテンツです。
歌曲は漢詩を元にフランス語に訳されたものを、さらにドイツ語に訳されたものを歌詞にしています。純粋な漢詩にインスピレーションを受けたというわけではなさそうですが、当時のオリエンタルへの趣向に端を発しているのは間違いはなさそうですね。
No. | 曲名(1) | 曲名(2) | 作品番号 |
1 | 交響曲「大地の歌」 | 第1楽章:大地の悲しみに寄せる酒の歌 | ― |
2 | 交響曲「大地の歌」 | 第2楽章:秋にさびしきもの | ― |
3 | 交響曲「大地の歌」 | 第3楽章:青春について | ― |
4 | 交響曲「大地の歌」 | 第4楽章:美について | ― |
5 | 交響曲「大地の歌」 | 第5楽章:春に酔えるもの | ― |
6 | 交響曲「大地の歌」 | 第6楽章:別れ | ― |
ちょっとした所感です。
<おすすめ度★★★>
「No.6」:「交響曲『大地の歌』第6楽章」
長大な楽曲で、30分近くはあります。最後を締めくくるのに相応しく、物語性の強い壮大な構成になっています。
冒頭からのソプラノによる感傷的で甘美なテーマの詠唱が印象的です。声楽を支えるハープと管楽器の扱いが面白いですね。
前半のパートは、劇性を伴った部位と、その鎮静を伴った部位の扱いが如何にも物語風に仕上げられているといった構造です。
また、管楽器が奏でる曲調は東洋的です。
中間のパートは、牧歌的な器楽曲風の曲調に差し込まれる、感情的に高められたソプラノが印象的です。
後半のパートは、不安を煽るような音響、戯けた感じの曲調といった情緒の定まらないような部位が、徐々に結末へと向かう前奏曲のように配置されています。
そして、ソプラノの物悲しい、悲哀に満ちた歌唱が加えられます。その歌声とはどこかちぐはぐな情趣と受け取れる管弦楽の箇所を超えて、明るさを取り戻した歌唱とともに、長大な詩歌による音響世界は締めくくられます。
<おすすめ度★★>
「No.3」:「交響曲『大地の歌』第3楽章」
テノールが主体の楽曲です。
明るく戯けた曲調で、どこか酩酊した陽気さを表現した楽曲ですね。
楽しいけれど、短くも儚い時代を謳歌しているといって印象です。
「No.4」:「交響曲『大地の歌』第4楽章」
ソプラノが主体の楽曲ですね。
軽快で明快です。東洋的な曲調と、幻想的で豪奢な曲想が入り混じったユニークな楽曲です。
構成もドラマティックで、展開が楽しい一曲です。
<おすすめ度★>
「No.1」:「交響曲『大地の歌』第1楽章」
テノールが主体の楽曲で、動的な部位と静的な部位の対比が面白いですね。
「No.2」:「交響曲『大地の歌』第2楽章」
ソプラノが主体の楽曲で、退廃的なムードが漂う楽曲です。
「No.5」:「交響曲『大地の歌』第5楽章」
テノールが主体で、第3楽章の延長線上にある曲想をもった楽曲です。全体的に第3楽章を豪華にした感じです。
全体として、声楽、弦楽、管楽、打楽器の扱いが極めて多様性に富んでいて、聴き惚れてしまう耽美的な作品になっています。
最終楽章の結尾では、チェレスタが登場しますね。何とも素敵な演出ですね。
何とも壮大な楽曲ですね。声楽がソロパートというのも良いですね。
管弦楽を身に纏った「詠唱」といった側面をも漂わせているな。
【観想】オリエンタルと漢詩。
魅力と醍醐味について、少しばかりの言及です。
今回紹介したアルバムでは「交響曲『大地の歌』」の副題として「(中国の漢詩をハンス・ベートゲが訳したテキストによる)」が添えられています。
ライナーノーツ(許光俊氏著)によると、「歌詞テクストはオリエント学者ハンス・ベートゲが翻訳した中国の詩によるが、ベートゲはオリジナルからではなくフランス語から訳した。」とあります。なんとも複雑な経緯がありそうですが、重要なのは、インスピレーション元となる「マーラーが実際に触れた詩」にあるわけですから、この点はエピソード的に捉えておくのが良さそうですね。
さて肝腎の詩は、唐代の李白、銭起、孟浩然、王維らのもののようですね。絶句・律詩といった形式だけでなく、時代精神、風刺、厭世や無常観などを諧謔的、感傷的に綴るのも特徴としてあげられますね。
楽天的な表層の背後に忍ばせたペシミズムといった感がありますね。
20世紀の幕を開けた新世紀の初頭、不安と期待が混在した時代に、かのような詩歌が魅力的に思えたのかもしれません。
シノワズリの表面的な美麗さとは異なった、もっと精神性に深まったところに惹かれたといえるでしょう。
音楽家の略歴です。
<略歴> グスタフ・マーラー 【墺】1860-1911 ウィーン楽友協会音楽院で学び、ウィーン大学では哲学も修めた。1897年よりウィーン宮廷歌劇場の指揮者となり、同劇場の全盛期を築いた。作品はワグネリズムに根幹をおいた長大な交響曲と、それと不可分の関係にある管弦楽伴奏付き歌曲が中心をなしており、明快な抒情性のなかに深い思索的内容を秘めた傑作によって占められている。 (「クラシック音楽作品名辞典<改訂版> 三省堂」より抜粋)
ところで、シノワズリってなんですか。
17世紀初頭から19世紀頃にかけて起こった、ヨーロッパにおける「中国趣味」のムーブメントだな。広く捉えれば「東洋趣味」といえるだろう。
【追想】ジャンルの区分け。
交響曲か否か、分類の相違が面白いです。
「大地の歌」を交響曲として扱うかは、難しいようですね。
今回紹介させていただいたアルバムは、交響曲として扱っています。
また、「カラー版 作曲家の生涯 マーラー」(船山隆[著] / 新潮文庫)および「大作曲家 マーラー」(ヴォルフガング・シュライバー[著] / 岩下眞好[訳] / 音楽之友社)でも、交響曲として扱っています。
「クラシック音楽作品名辞典<改訂版>」(井上和男[編著] / 三省堂)では、「独唱・合唱・管弦楽の曲」に分類し、交響曲からは外しています。
加えて「本来、第9番にあたる交響曲として作曲されたが<第9>が死にことを避けて、交響曲としなかった。」(877ページ抜粋)とエピソードを添えています。
あくまで分類上の問題なのであって、その如何によって作品自体の魅力が左右されるわけではありません。
クラシック音楽を特徴付ける「分類」という要素の面白さを示す好例、とったように捉えるのがベターですね。
「第9」を避けたというのはやはり…。
ベートーヴェンの「交響曲 第9番」だな。この種のエピソードを聞くだけでも、クラシック音楽界におけるベートーヴェンの存在の大きさを改めて知らされるな。
【雑想】下手の横好き。(第57弾)
クラシック音楽の打ち込み作品の紹介です。
DAW(Digital Audio Workstation)でクラシック音楽を打ち込んだDTM(DeskTop Music)の作品を制作しています。
DAWで音楽を制作するDTMの楽しさが伝わればと思います。
下記リンク先にクラシック音楽の打ち込み作品などを纏めていますので、ご鑑賞いただければ嬉しいです。
・ミュージック(クラシック_01)
・ミュージック(クラシック_02)
クラシック音楽をファミコン(ファミリーコンピューター)の音源風(あくまで「風」)にアレンジした「8bit クラシック」という打ち込み作品も纏めていますので、上記に加えてご鑑賞いただければ幸いです。
長く続く趣味を持ちたいです。
またまた間が空いてしまいました。
引き続き、マーラー編でした。
全編声楽付きの交響曲でしたね。
また、ライブ録音ということもあり、独特の緊張感も味わえるアルバムでした。
前回お伝えしたとおり、マーラーの交響曲はコンプリートしていません。いつかコンプリートしたいですね。
というわけで、今回でマーラー編は一旦終了です。次回からはブラームス編をスタートさせる予定です。
では、また。
マーラー編は短かったですね。交響曲の全点踏破はまだ先のようです。
いずれコンプリートするという目標がある分、前向きで結構ではないか。