こんにちは。はーねうすです。

今回は、ショパンの「ピアノ協奏曲 第1番&第2番」を紹介します。ショパンのピアノ協奏曲はこの2作品のみになりますので、全集扱いで良いでしょう。

管弦楽については、ほぼ食指を示さなかったであろうショパンの貴重な管弦楽曲ですね。

ピアノ独奏は、マルタ・アルゲリッチ氏です。

ピアノ協奏曲ですね。ショパンの管弦楽としては確かに希少です。

管弦楽を含めた楽曲は全6曲。最も演奏の機会に恵まれるのは、ピアノ協奏曲の第1番だな。

【着想】貴重な管弦楽曲。

「ショパン ピアノ協奏曲 第1番&第2番」のコンテンツです。

「ショパン ピアノ協奏曲 第1番&第2番」です。
ショパン ピアノ協奏曲 第1番&第2番 レーベル[Deutsche Grammophon]

ピアノ協奏曲の第1番と第2番はともに、ショパンが10代最後から20歳の間に作曲・初演された作品になります。そのため、若かりしショパンが大作をものにしたいという気概のようなものを随所に感じます。

No.曲名(1)曲名(2)作品番号
1*ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調第1楽章:Allegro maestosoOp.11
2*ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調第2楽章:Romance. LargehettoOp.11
3*ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調第3楽章:Rondo. VivaceOp.11
4**ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調第1楽章:MaestosoOp.21
5**ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調第2楽章:LargehettoOp.21
6**ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調第3楽章:Allegro vivaceOp.21
*: クライディオ・アバド 指揮、ロンドン交響楽団
**: ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 指揮、ワシントン・ナショナル交響楽団

ちょっとして所感です。

<おすすめ度★★★>

「No.2」:「ピアノ協奏曲 第1番 第2楽章 ロマンス」

全編甘美といって差し支えないですね。耽美主義的な傾向にとらわれます。どこか憧憬の念を抱かせる曲調にうっとりとします。管弦楽による静かな序奏の後、すっと差し込まれるピアノの旋律が堪りません。徐々に高まりを見せ、最高潮に達したときのピアノの音響に触れると、ある種の恍惚感を禁じ得ません。

ライナーノーツ(諸石幸生氏著)によると、ショパンはこの第2楽章について「”美しい春の夜の、月明かりの下でのもの思いのような”音楽」と述べたとあります。なんともロマンティックな表現ですね。

<おすすめ度★★>

「No.5」:「ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章 ラルゲット」

「No.2」の「ピアノ協奏曲 第1番 第2楽章」と同様、随所が甘美です。ひたすらに感傷的であり、郷愁的である、なんともセンチメンタルな楽曲です。

出版年が前後したため、実際は第2番の方が先に作曲されていた、という話は有名です。が、両曲の作曲年の差はほとんどありません。そのためか、曲想、曲調、構成は類似しています。また10代から20代の青年期にかけた作品ということもあり、協奏曲というスタイルを丁寧に守りながらも、果敢に攻め入ろうとする印象を受ける素敵な楽曲です。

<おすすめ度★>

「No.4」:「ピアノ協奏曲 第2番 第1楽章 マエストーソ」

ショパン初のピアノ協奏曲という記念碑的な楽曲の、第1楽章です。荘厳と流麗が交差した、10代のショパンの意気込みを感じさせられます。

「ショパン ピアノ協奏曲 第1番&第2番」です。
ショパン ピアノ協奏曲 第1番&第2番 レーベル[Deutsche Grammophon]

2曲とも、若い時分に書かれたんですね。

ポーランドを立つ前、といっても良いかもしれんな。1830年が境目だな。

【観想】豪胆と華麗。

魅力と醍醐味について、少しばかりの言及です。

故国ポーランドを去り、フランスへ発つ前に書かれた作品であるピアノ協奏曲は、その思い入れもあってか、郷愁的で感傷的な部分と、将来への希望に満ちた前進的な部分を併せ持った感じを受けます。

「No.1」の「第1番 第1楽章」豪胆さと抒情的な曲調の対比の中に潜ませた感傷性が伺えます。

一転、「No.3」の「第1番 第3楽章」では、華麗で軽妙洒脱な印象を受けます。

「No.4」の「第2番 第1楽章」「No.6」の「第2番 第3楽章」も同様で、荘厳と流麗重厚と華麗といった曲調の中に、青年期のショパンが抱いた気概といった感情を読み取ってしまいます。

なんにせよ、管弦楽曲をほとんど残さなかったショパンにとって希少な作品です。随所に鏤められたピアノの耽美的な旋律と、どこか苦手意識が見え隠れする管弦楽に溺れることができる貴重な作品です。

音楽家の略歴です。

<略歴> フレデリック・フランソワ・ショパン
【ポーランド→仏】1810-1849
ワルシャワ音楽院でJ.エルスネルに学び、ピアニスト、作曲家として成功し、1830年ウィーンに演奏旅行。その直後ワルシャワに独立運動が起こったため、帰国せず、パリに出、以後もっぱらフランスを中心に活躍。ロマン派音楽におけるサロン風ピアノ作品を新しい境地に開拓して<ピアノの詩人>と呼ばれる。
(「クラシック音楽作品名辞典<改訂版> 三省堂」より抜粋)

2曲とも、曲想と曲調、それに構成もそっくりです。

大規模な作品を手掛けるという意気込みも、共通点かもしれんな。

【追想】ショパンの評伝。

作家の生涯と作品の評伝です。

「大作曲家 ショパン」です。
大作曲家 ショパン カミーユ・ブールニケル[著] / 荒木昭太郎[訳] 音楽之友社

「大作曲家 ショパン」(カミーユ・ブールニケル[著] / 荒木昭太郎[訳] 音楽之友社)です。図版が多く、とても参考になる良著です。

また、「証言」として、同業者や作家、哲学者のショパンへの言が掲載されていて、大変ユニークです。

例えば、哲学者ニーチェの「この人を見よ」の抜粋で、「わたし自身、今もなお、ショパンとひきかえに音楽のそれ以外の部分を犠牲にしてもいいと思うほど、十分にポーランド人であるのだ。」(252,253ページ抜粋)を記載しているのは面白いですね。ニーチェ特有の言い回しが炸裂しています。

実際に「この人を見よ」(ニーチェ[著] / 手塚富雄[訳] 岩波文庫)を開いてみました。「なぜわたしはこんなに利発なのか」という章の第7節にありました。「わたし自身は、依然としてポーランド人であることが抜けきらないので、ショパンを残すためには他の音楽を全部放棄してもよいという気持ちはある。」(62ページ抜粋)とあり、訳の差が面白いですね。正直何を言わんとしているのか、読解が難しいところです。

本筋からは外れてしまいましたが、このような角度から音楽家の評を眺めてみるのも面白いですね。

ニーチェの言質ですね。変わった角度からの音楽家評も面白いですね。

伝記の本質ではないが、優良な情報であることに違いはないな。

【雑想】下手の横好き。(第33弾)

クラシック音楽の打ち込み作品の紹介です。

DAW(Digital Audio Workstation)でクラシック音楽を打ち込んだDTM(DeskTop Music)の作品を制作しています。

DAWで音楽を制作するDTMの楽しさが伝わればと思います。

下記リンク先にクラシック音楽の打ち込み作品などを纏めていますので、ご鑑賞いただければ嬉しいです。

・ミュージック(クラシック_01)
・ミュージック(クラシック_02)

クラシック音楽をファミコン(ファミリーコンピューター)の音源風(あくまで「風」)にアレンジした「8bit クラシック」という打ち込み作品も纏めていますので、上記に加えてご鑑賞いただければ幸いです。

・ミュージック(8bit クラシック_01)

長く続く趣味を持ちたいです。

引き続き、ショパン編でした。

ピアノ協奏曲は、青年ショパンにとって「一目を置かれる音楽家になりたい」という意気込みを感じさせる楽曲ですね。

当時の作曲家としては、管弦楽曲の書法に通じてこそ一人前という伝統があったのでしょう。ショパンは、ワルシャワ音楽院を卒業していますので、そのような薫陶を受けたのかもしれません。そのため、大規模な楽曲で一旗揚げる、という気概になったのかもしれませんね。

いずれにせよピアノ協奏曲は、ショパンの数少ない管弦楽曲を堪能できる稀有な楽曲ですね。

では、また。

ショパンの管弦楽曲が聴ける、貴重なアルバムですよね。

ショパン自身は、管弦楽の書法が苦手だったようだな。その苦心も踏まえて、ピアノ協奏曲は貴重だといえそうだな。